歌道要法

tenten34

2010年10月12日 02:03

歌道要法

 歌を唄う道は、人間自然の情けにして神代の昔より今日に至るまで聊も変わることなし、歌は永遠の声、東西に通ずる言葉なり。されば我朝唐土日本に対し、昔より歌を唄ふの式宴有るはM実に誇るに可き事と云ふ可し、是に依りて吾師傳を受くるまゝ後の世に歌を学ぶ者の為に卑言を顧見ず記し置くものなり。歌を唄ふ時、形容端正にして三味線を取り歌詞の情を心に思ひ浮べ正しき節にして唄えば自から其の情音声に現る。之即ち、思入と云うものなり。浅学の者、故意に作りし吟色を以て人を感動せしめんとするは、浮薄の事にして識者に賤しまる。
  当流の始祖屋嘉比先生諸弟子に語って曰く
 歌を学ぶの道他なし、只、惶心(悍心?)を戒しむるのみ、又、音声美にして聡明なる者に上達する者少し蓋し音声美なる者は無知の輩に誉められば、我より優れたるものなしと慢心、或は己が聡明を頼みて深く究明せず、声を頼みて曲節の意を悟らず師傳薄が故也、師の傳授薄き者は己が心のまゝに歌うが故に歌にも弾絃にも癖出でて識者に顰蹙(ヒンシュク)せらるべし、されば音声のみ非違DRて秀でて曲節全からざる者必しも尊からず。田夫野人にも音声美なるものあればなり、物あれば必ず則あり。即ち、歌に法ある所以也。曲節の理を知らずして徒に浅きに止まりて足れりとなす。惜しむべし、聡明ならざるものは刻苦精励し、師の伝授を十分に受けざれば満足せず。加之自ら開悟して漸次に向上するが故に遂には堂奥を極むる事を得べし。是、初学の物上達の鍵也。歌に志有る者、此の理を知らずんばあるべからず。
 歌を歌ふ時、心をゆるすべからず。歌三味線に心を留めざれば、或は曲節を誤り、或は歌の句を忘れ、全く歌ひ終る事能わざるものなり、唯だ心を歌に留めて歌わば自ら其の妙現わるるものなり、これ歌を唄ふ要訣なり。茶屋節以上の節は放心に唄えば全く歌ひ終ること難し、中にも長ぢゃんな節・仲節は心を許さず唄ひても往々誤りて全く唄ひ終る事稀なり。故に唯だ禁ずべきは放心のみ、歌を学ぶ者心せずんばあるべからず。

               道光二五年(1845) 安富祖正元 述


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