ハーレム

2010年03月24日

Posted by tenten34 at 09:40 │Comments( 0 )
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オスマン帝国の君主は4代バヤズィト1世以来、キリスト教徒出身の女奴隷を母として生まれたものが多く、そもそも君主権が絶頂化して有力者との婚姻が不要となった15世紀以降には、ほとんど正規の結婚を行う君主はいなかった。オスマン帝国のハレムには美人として有名なカフカス出身の女性を中心とする多くの女奴隷が集められ、その数は最盛期には1000人を越えたとされる。

戦争捕虜や、貧困家庭からの売却によって奴隷身分となった女性たちはイスタンブールで購入されると、イスタンブルの各所に置かれた君主の宮廷のひとつに配属され、黒人の宦官によって生活を監督されながら歌舞音曲のみならず、礼儀作法や料理、裁縫、さらにアラビア文字の読み書きから詩などの文学に至るまで様々な教養を身につけさせられた後、侍女として皇帝の住まうトプカプ宮殿のハレムに移された。

侍女達の部屋跡
ハーレム

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