
京太郎(ちょんだらー)
【解説】京大郎の由来については京都生まれの延年くずれの遊芸人が暖国の地にあこがれて来そうなことではある。また一説には一六〇九年の慶長役に薩摩軍のスパイとして、役前に渡来したともいわれている。彼らは人形を舞わしながら高官の家宅を門付けして回り、戦争になっては薩軍を那覇港ロから運天港に水先案内をしたり、また運天港から首里城に案内したりしたという口碑が残っている。
京太郎は、祝儀には万歳、余興には人形舞わし鳥刺し舞や春駒、法事には念仏というように、いろいろの演芸をしながら門付けをしていた。
泡瀬に残存して文化財として保護さる。廃藩後はその跡がだんだん絶えたが、首里の寒川芝居で、万歳敵討まがいの劇を作ってその挿入技として京大郎を取り入れて興行をしたことがある。後代は芝居でも村芝居でもほとんど見られなくなったが、十九〇六年に泡瀬の喜屋武盛広氏が寒川芝居で学んできたのを村芝居で演じたのが、今日まで伝わっており、歌曲は全部私が採譜した。その種目に早口説(本来の京太郎ではなく、芝居で作った劇の前奏曲)、扇の舞い、御知行の歌、馬舞者、鳥刺舞などがある。
伊波文学士はその詞の難解から部類分けに困られたが、日本遊芸を調べた結果、その由来が凡そ判るようになった。
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