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山内盛彬の『琉球舞踊史』から

2010年10月06日

Posted by tenten34 at 13:39 │Comments( 0 ) 琉球伝統芸能
伊集の打花鼓
山内盛彬の『琉球舞踊史』から山内盛彬の『琉球舞踊史』から
山内盛彬の『琉球舞踊史』から




  打花鼓(たふぁーくー)

【解説】わけの判らぬ振舞にターファークーといわれるが、それは支那劇の打花鼓という言葉からきた名残りである。明国の子孫の住んだ久米村に三六九(さんりゅーちゅー)という支那学の学芸会があって、その余興に武術と芸能を演じ、演芸は上品なもの卑俗なのもいろいろあった中に打花鼓は最も人の目をひいて、それが支那劇の総称になってしまった。打花鼓は福建省から持ってきた雑技で、サーカス娘が危い綱渡りをするさまを舞踊化したもので深刻な動作が伴っていた。この歌曲は廃藩と共に久米では亡んだが久米最後の唯一の楽人国場公憲翁の生前に採譜したものもあったし、最近伊集ののも採譜した。本場の久米で亡んだ打花鼓が中城村の伊集に現存している。その経路は久米に住んでいる和宇慶家は、伊集の隣村の和宇慶の地頭であった関係上、伊集人もよく久米に出入りして打花鼓を覚えたといわれているが、確かなことは判らない。
 伊集の打花鼓の行列順序は、先頭に棒を持った筑佐事(警手)二人、唐の接司(マンチャーラーウ)一人、御涼傘(ウランサン)持ち一人、ガク人二人、ワンシー鐘打ち一人、ハンチン鐘一人、ブイ打ち一人、太鼓打ち一人となり演者人数は踊り手十一人、歌・三味線二人になっているが、久米でやった数多の支那絃楽器はない。その動作には、飛び上がったり、腰をかがめたり、体をそらしたり、太鼓を打ったりするアクロバット式で琉舞とは趣きを異にしている。その詞も曲も支那式ニワカ喜劇であるが、旋法が嬰陰旋法になっているのは長年月の間に郷土的に訛ったのであろう。



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